satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

1/30 弁当屋、ティータイムmtg

・弁当屋
久しぶりに腹が立った。それを自分でまず認めて(意識してではなく認めていた)、すぐに井手っちに話し、聴いてもらうことができた。井手っちに話したときは穏やかでなく、「今日はもう仕込みをやりたくないという」のが出て来ていたが、その後の総菜パック詰めと掃除は目の前の事に楽しみながら取りかかっていたと思う。
いつもはすぐに仕込みへ行く事が多いけど、総菜、掃除とやって三由紀さんを知ることが少し出来たのもよかったな〜と感じる。総菜も掃除も結構楽しくやっていた自分が居た気がする。
あの時、わたしはどうして欲しかったのだろうか?自分はどうしたかったのだろうか?
剛道くんが、井手っちとグムちゃんだけが仕込みをやるように受け取って、自分が居ないように感じたのが寂しかった。わたしはわたしなりに仕込みの事を考え、今日はどんな段取りでやれたらいいだろうか?というのが頭の中にあった。
剛道くんが算段してそこから指示を受けて動くみたいに捉えていた自分がいて、剛道くんが上の人で自分は意見を言えないみたいになっていたかな…。
仕込みは留学生で回すというのも前提にあったりもした。自分の自由がまったくない感じもした。シンプルに言うと、自分も一緒にやるメンバーで意見を聞いてほしかったかんじかな。みんながどうかをまずは聞いて、仕込みの様子を考慮した上で行きたい人が行く、そんな感じになっていたように思う。無意識に、担当のよっしーが居ないときはヨウちゃんかわたしが副担当みたいに勝手に思っていた。
その場を踏みにじられた感覚もあったかな。腹が立ったのはそれまでで総菜が2つ終わったときには鎮火していた。それが持続することはなかった。
盛り付け中にふと次のコースは”自分を知るため”がいいかもと出て来た。
そしてコース前に浜松へ一度帰って住所変更をしたり残りの荷物を全て持ってこようとかも出て来た。パスポートを更新して、すぐに韓国へ行けるようにしておこうというのがあるかな。ここでまだ暫くやりたい気持ちが出て来た。それはよっしーが居なかったとしてもひとりでもやりたいというのが心の内から出て来た感じだ。

・ティータイムmtg
昨日を終えて、どうだったか?改めてどんな場にしていきたいのだろう?と問いかけがあった。自分は最初、観察や探求はとりあえずいいから、何でも出し合える場作りが先だろうというのがあった。この場がどうなっていくか観察していきたいというのもある気がする。いつものおしゃべり(ただ出し合う)だけでなく探求したいというのを何人から聞いた気がする。深く掘り下げたいといった感じだろうか。
わたしはそれを自分を聴けるようになるという風に解釈した。
人を聴ける自分、内面と内面が通じ合えるようになるには、まずは自分を聴き、人へと関心が行くように思う。ミーティングに成るための前段階のようにも思えたな。
どうやったらいいかとか方法を探っていくと迷宮入りする。そして目的がすり替わっていくようにも思う。

なんの為に観察をやるのだろうか?
自覚とか観察とかそういうの自分は関心が向かないな〜と思っていたけど、自分の考えと実際がハッキリした世界はどんなものだろうと見てみたくなった。
そこがハッキリしていると自然と相手の中身に関心が行くように思う。
日常の中で、会話の中でそういう自分になっているといつでも”人を聴く”になっている感じだろうか。すぐに本心・本質的なものに焦点が当る感じがする。

次のコースはその辺りをハッキリしる要素を知るために”自分を知るため”に行こうかというのが今出て来た感じだ。