satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

1/6 餃子事件、留学生ミーティング

よっしーに餃子が食べたいから作って欲しいとリクエストした。
そしたら金曜、作ってくれることになって留学生で食べよう〜ということになった。
その餃子を包む事柄に関して自分の中に内在しているモノがぶつかって反応となって現れた。

事の発端は、わたしが根津くんのブログを読んで”イラっと”したところから始まったように思う。そこからの餃子事件、それからみんなで夜ご飯、その後のよっしーとの会話、たっきー挟んでよっしーとの会話、留学生ミーティング中に出してみて、それからよっしー抜きでたっきーとグムちゃんとの会話を経て今思う事…。

サロンやゼミや研究会、ミーティングの中から日常の中にシフトしていきたんだなと感じた。こっちが本番、本当にやりたいこととは口では言いつつもなかなか…となっていた。日常が本当の意味でのアドバンスドコースだなぁと感じた。
身につくようになるためのようやくスタートラインにいるような気がした。

わたしの心の状態がまずあって、餃子を包むのをいつ・どのように、やるか。それで対立していたように思う。
なにもなければ現れとなって出てこなかったけど、よっしーがいることで自分の中に潜んでいるものが引き出されたのであろう。
感情的になってその事についてよっしーと話をした時、すぐに自分を責めていく気持ちに進んでいった。自分がこうだからこうなった。みたいな回路で自分が今の自分を作り出しているかのように。よっしーにはわたしにキメツケがあるからそうなったんだ、それを解消するためにここに来たのも自分たちの大きなテーマでないか?というのを聞いたとき、分析しないでくれと思った。じゃあよっしーが言ってるそれは断言しているように聞こえるけどそれ自体キメツケなんじゃないか!?というのが出てくる。
この感覚は浜松にいた時も度々出て来て、「もういい」「話す気がなくなった」というのと一緒にやっていくこと自体が無理なんじゃないか、と出てくる。
浜松にいた時よりは大きな心の揺れはないものの、明日出て行くわみたいな発言をしている自分も居た。

その後、留学生の中に出してみたとき(わりと抵抗なく自然に出て来たかな)自分とよっしーの事という枠組みが以前はハッキリしていたところからその境がぼやけかけて感じた。

どちらか一方のやり方に合わせようとするのでなく調和していくってどんな感じだろう?と自分の中で浮かび上がった時、弁当の盛りつけラインで大変になっている自分と、留学生研究会で根津くんの進行にイラっとしたのと同じ構造のように思えてきた。
現れているものでどうにかしようとしていたのだなと思った。餃子を包む方法をそうしたいと思ったのにはわたしもよっしーも想いがあった。よっしーの気持ちを聴いたときそうだね、わたしもそうしたなっていうのがスルっと出て来た。よっしーもわたしの気持ちを聴いたときそうだよね、そうしたいねとなったらしい。現れたその元の部分がお互いにまずあってそれが聴き合えていたら方法は違うものになったのではないかな。

お互い(周りに居る人も)がやわらかな笑顔で仲良い状態でずっといたいなと思う。

留学生ミーティングの中で「聴いて欲しい」と「聴いてくれない」は違うんじゃないかと出て来た。聴いて欲しいだけで怒りが出てくるのはどうなっているのかな?と思う。聴いてくれないというのは相手を責めてもいいとなっているような状態かな。
だた聴いて欲しいだけなのになぜそうなるか。「聞いたらやる」がセットにもなっているのも感じるのと自分が聴いて欲しい事を聴いて欲しいとなっているのかな?
それが思い通りにならない→怒りとなっているように思う。
自分の気持ちを聴いてくれたと感じたとき現れはどうでもよくなっていたりする。
この辺りをもっとじっくり探っていきたい気がする。

年末年始を経て留学生の中で自分が思ったことを遠慮や躊躇なく出せている自分が居る気がする。丸ごと受け入れられている感覚がある。これが委ねられることなのだろうか?これをここで話そうとかじゃなくスルッと出て来ているとたっきーやグムちゃんの中での会話で思った。
人生の中での留学生活をみたらすごく短い時間のように思う。一ヶ月を振り返った時にすごく色々ありすぎるし、一週間という単位でもすごく色々な事を思ったり考えたりやっていたりする。そう見て行くと一日一日をすごく大切にしたいなというのと同時に今のこの一瞬一瞬がとても愛おしく感じ大切にしたくなった。たっきーとグムちゃんとの中でそれをすごく感じて、よっしーを第一優先にしていて表情やら行動やらをいちいち気にしていた自分から少し離れたところに立っている自分が居る気がした。
よっしーを大切にしたい気持ちはとてもあるけど、それとよっしーに自分を合わせようとするのは大きく違うなと思う。今日からよっしーが一週間コースで居ないのはそういう意味でベストタイミングかもしれないと思った。よっしーやグムちゃん、いでっち、ジエゴ、フンミも韓国で居なくて寂しい、どうなるのだろう…寮では一人だというところから今、目の前に居る人、そっちに目を向けたいなと思った。実際にはそんなにどうしようとどうしようと心がズーンとなった感じはしないが、そういうのが先ず出て来たなと思った。
未来を想像して心配したり不安になったり思ったり考えたりすることはあると思う。それはそれであってそれも出し合えていける環境に身を置きたい。

次のコースをどれにしたらいいか分からなくなっていたけど、餃子事件とその前からのよしーとの色々や留学生との関わり合いを経て今は「人を聴くため」のコースへ参加してみたいと思う。