satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

1/27 留学生食事会後

一ヶ月の振り返り。
自分にとって大きな一ヶ月だったように感じる。
よっしーとの関係で自分が描いたよっしー像に合わせようとしていることに気づき、そこから自分自身の留学をしたいと思うようになった。そんな元旦からこの一ヶ月だったように思う。自分のその時の気持ちをまずは大事にしてみようとそんな日常を送っていたかな。

毎回自分は”よっしーのこと”をここで出していたなと思い出す。
今回も然りで、振り返ってみると出てくるよっしーとのこと。
それだけ自分の中で大きな要素になっているのだなと思う。

付き合っているは何をしているのだろう?結婚とか、彼氏・彼女とかこれは意識上のことだなと思う。実際の自分は付き合っていても別れたとしても変わらない。
自分はよっしーの表層だけを見て”好き”としていたことにも気づき何を見ていたのだろうと…自分自身がよっしーの中身を見ていたつもりで全く見ていなかったことが浮き彫りとなった。
そんな中、よっしーとの話し合いも話し合えば合うだけすれ違って行くように感じ、一緒にいて居心地が悪く、他の留学生と居るときの方が自分らしく楽に居られる気がしてそっちを選択したりもしていた。
よっしーが久しぶりに感情的になったりもして、自分のよっしーに対する気持ちにアクセス出来なかった。そんな”よく分からない状態”でもそのまま出せる、聴いてくれる人が周りにいたことで考えからそうするのでなく気持ちはどうだろうと探れた気がする。

でもそれは表層の部分でこのモヤモヤをなんとかしたいから話す!みたいな感じでどうしよう/こうしよう頭だったようにも今、思う。

木曜日の研究会前の食事の時に自分の中で違和感があった。
人数が多すぎて一見はわちゃわちゃしていて楽しそうにも目に映るかもしれないが、お祭り騒ぎのような宴の雰囲気を感じた。何品か用意したおかずもみんな味わっている感じがしなく、虚しい感じがした。「これがしたいわけではない、目の前にあるもの(人もおかずも)を丁寧に味わいたい」というのが自分の中から出て来た言葉だった。
でもこれは今の留学生の心の状態が現れているのだと思う。
いつの間にかみんなに声を掛けることが囲いも隔てもないこととすり替わっていたように思う。これは形であって、囲いも隔てもないは心の状態のこと。
本当に親しい間柄を求めている自分に気づく。自分が囲いたくなっていたのは自分が安心状態でいたいからだと思う。ここでは出せないとかしていたのもそうであろう。
最近話題にもなっているけれど、本当の親しい状態はどんなのだろうか。

金曜日、病院から帰って来てお弁当を食べているジンちゃん、横にいる根津くんを見た。よっしーがお弁当を持って来ていて、ここでお弁当一緒に食べたいなとなりそうした。途中フンミも来たりした。少しの時間の会話だったけど、その時お弁当もゆっくり味わい、自分も味わい、目の前に居る人も味わっているような感じがした。
そうしてとても穏やかな心でいる自分に気づいた。特に自分の全てを出そうともしていなかったけれど、前日とは打って変わってな感じだった。
土曜の弁当屋で宏治くんと盛りつけ中にポツポツ自分の感じたことをだしたけれど、これもなんだか受け入れられている感覚を味わった。

この一ヶ月、話し合う時間やみんなで集う時間に重きを置いて来たような感じだったけれどその人を聴くとは随分ずれたことをしていた感じだったと思う。
やってきたことはすごく表層の部分で動いていた感じだった。言葉や表情の現れの部分
をなんとかしようとしてい感じに近い。
これは”人を聴くため”のコースからの後もあって気づいたことだと思うけれど。
自分の目先の安心感や満足感を求めてやってきていたように感じる。
話をしなくても安心する満たされる聴くがあるように思う。
何をしてもしなくても受け入れられている状態。
包み込まれているような安心な状態。

先ずは自分の気持ちを伝えようと気持ちから出してみようとしている。
それと本当の安心状態や親しい状態についても探っていきたいなと思う。

食事会の時に感じたことで、
留学生という実験体。実験が出来るのはサポートしてくれる人たちがいるからだなと思った。やりながら知りながらそれを聴いてくれる人たちがいること。
受け入れチームとプチミの大きさを感じている。
ここがあって出来る感じがしている。そのベースを留学生の社会の中にも実現していきたいと思っている今かな。