7/24 サロン
やらせる やめさせる間柄
止めるとやめさせる
「止める」は感情を伴っていない自身の行為
やめさせるは悪感情の入ったもの
人と人との関係なら やらせる やめさせる は起きようがない
不愉快な感情がなければ出てこないのかな。
何を見ているのか?というのが印象的だった。
“その人”を見ていない。
どういう間柄なのか、といえば決まった事を守っているからよい状態。
という条件付きのものなんだろう。
うちは保ちあっているというより、出し合っているなーと思う。
昨日は、「不愉快な感情」や「警戒心」さえなければ真の人間へといけるのであろうという実感を持った。
今の自分はどこに焦点を当てていくかといえばそこであろう。
そこを解消せずしては先へ進めないんだな。本当に。
わたしは悪感情や警戒心を温存してしまっているのかも?とサロン中思った。
とは言っても出てくるしとか。そういう自分を認めているのであろう。
先週、今週と2回サロンに参加する中でそれが異常であることのように思えてきた。
無くそうというより、持っているのがおかしいなって。
自分で持つことによって自分を苦しめている感じもする。
最近、先のことが前より全然怖くなくなっていることに気づいた。
いつまで生きているか分からないというのが現実になってきたような感じ。
どれだけ長く生きるか、というより
夫との時間、娘の将来をどれだけ見届けられるかよりも
真の人間をどれだけ早く取り戻せるか、そして少しでも人間らしく生きられることの方が寿命が縮まったとしても先決な感じがする。
一刻も早く。そんな人間で夫や娘と接したい。