satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

自分に還る

今。

2025421日 20:42

wakuraba
に行くと、自分の中の芯と繋がるのか どうしてなのかわからないが
呼吸がゆっくりになる そうしてかつてわたしが憧れていた世界に近いような空気感
風の音、空気の振動、植物や虫たちの声。水の音。
そうしたものが自分の中にすーーーっと入ってくるような、鮮明に聞こえてくるような感覚になる。

波動なのか、自分の何かに共鳴するのか・・・
ゆったりと いちばん自分らしい自分でいられるような
とても心地よい空気。

そんな空気感を人々と分かち合えたら どれほどいいだろうか

 

脈略もなく思い出すこと
次々とお話しする
全てが繋がって 今までの全てが無駄なんてことなくて 今これからのためにあるかのように

”わたし”という存在がただいるだけでいい そんなことを空気で感じさせてくれる
住人たち
今の暮らしで 体がつっかえるような なにかグッと抑えなきゃいけないものが
ココには感じられない
やりたいことが存分に出来そうな気がする場所
いつきてもそんな空気を感じてします
それが今加速している感じがする
宇宙からのめっせーじ。

7/26 心の声

自分が「何をしたい」というような明確なものはないかもしれないと思った

どこに住んでもついやりたくなるのは
土いじり(庭)
・タネを蒔く
・野菜やハーブの苗を植える
・土・草・木…に触れる
・ただぼーっと眺めてすごす
・そこに住まう生き物たちの観察

キーワード
農的・自然に根ざした暮らし・パーマカルチャー・フォレストガーデン…

自分自身で描いて作り込んでいくというより(実践者)

そういうフィールドで暮らしたい人

こういう仕事がしたい というよりも
この人の応援したい・力になりたい→自分にできることはないだろうか
アシスタント的に働きたい

ゼロから描くような 白いキャンバスに自由に描くよりも
出来上がったものや発展途上のものに関わりたい というのか
なにかを始めるようなエネルギーがないのか?

興味関心は色々あるが
情報(知識)だけで終わっていることが多い

小さくても始める というところなんだけれど
始めるのに1人だとなかなか進まない

今居る環境に広い庭がある
コンクリートが多いけれど
土もある 花木がある 甕がある 

”森庭”(フォレストガーデン)にしたい!とすぐに思うが
お義母さんのおうち
彼女は草を抜きたい人 そして価値観が真逆といってもいい

6月の中旬にきて
持っている撒けそうな種をとりあえず蒔いた
夏野菜のよさげな苗をみつけては 時期が遅い と思いつつも植えてみた
1年草からとりあえず
ここにどれくらい居るのか不明確なので
あまり作りこんでもな、と思ったけれど
やはり「やってしまう」のだな

 

7/23 引っ越してきてから

6/11 フェーリに乗って引っ越した

色々と自分の中で葛藤あったり、イライラしたり
ため息多くなって苦しくなったりした
よっしーの”いつものやつ”が出てきた
そりゃそうだよね、こんなのと一緒にいたくないよな
と思う

何が正解なのか「正しいこと」それを追求して
そうじゃないもの排除して
わたしは人と一緒にやっていくのが本当にできないんだな と痛感した

自分がどうしたいか、と問われた
わたしは本当にどうしたいのか 分からなくなる
○○のために今まで動いてきた

正解を求めてそれをやろうとするのは
無理なことなのかな、と今朝浮かんできた
「わたしさえいなければみんな平和になる」
そればかり出てきてしまうけれど
だからと行っていなくなりたいわけではない
今は目の前のことをただただ、やっていく
理想をどこかに求めるのでなく
今を理想にしていく そんな感じか?

食のこと、農のこと、学校のこと、医療のこと エトセトラ
全てを完璧にしたがるんなだな
情報を探しすぎて、結局混乱する
あたまの使い方が下手すぎると言われた
そうかもね、どこにどうエネルギーを使うのか
色々考えすぎて身動きとれなくなっている

なにかをやろうとしなくても
わたしは
【暮らしを慈しみ楽しむ】
男と女は違うね
わたしは女性脳なんだな

広い視野はよっしーたちに任せて
目の前のこと ゆらゆらと楽しめるといいな


お届け行ってみて

一週間やってみた

円ちゃんの相乗り

わたしの運転で泉田さんについてもらって

 

いく前にソワソワしたり

お届け準備室のドアを開けるとお腹が痛くなったり

精神的疲労

 

やってみて、どうだったか

そういうやりとりってしてこなかったな

こうしてください

と聞いたら それをずっとやり続けるような

 

今日は美代子さんにプチミしてもらった

たくさん泣いたな

1人で頑張る その方法しかしらないような

 

泉田さんに

お届け1人でできるようになりたくない

と言った

返答はなにそれ だったかな

 

みてもらいながらずっとやりたい

それかな

9時にいくと

事務所は電話でたり

四日市の出発前だったり

どこでどう聞けばいいのかな?

やってみてミーティングは一回でたかな

あったりなかったりみたい

 

1人でがむしゃらにやる

自分帝国を築く方向しか知らない自分かな

 

 

久しぶりに。

こんなのもやっていたな、と思い出した。

当時スクールブログには書きづらくて(自分をオープンにするのに抵抗あったな)

でも見て欲しい人がいて、ここ開設したんだったな。

そういうのにもエネルギー使っていたな。

読み返してみるとそれはそれで

変化を感じたりして。

なにをやっていたか、とそれだけでも。

2年くらいお店担当だった。

今週からお届けへ。

(原点回帰中と聞いたけど)

前のお届けはどれくらいやっていたのかな?

思い出せない。

2、3ヶ月じゃなかったかな?

 

ただの書留め?記録。

スクールブログでもいいけど、なにか書いてみたくて

書いてみた。

 

8/5 ワンオペ

4(日)からよっしーが集中研究会に参加している。

午前中は仕事へ行き、13時ー22時まで研究会。
起きて職場、帰ってきて眠る。

という生活なのでよっしーが日頃やってくれていたこともわたしがやる感じとなる

(基本的にはお風呂、散歩、joyへ取りに行ってもらったり、夕飯時の娘サポーター)
事柄的にはそんな大したことない感じだったので事前に大変な想像はしていなかった。

2日間やってみて。

疲れた、非常に。
さて、何に疲れたのだろうか?と思う。
洗濯機を回すのでさえ一苦労。
ぐずるのは夜眠れない時とかくらいだったのが、この日は午前中もクズクズ。

joyでご飯食べ終わり、散歩して、お風呂入れた後にどっと疲れがくる。感じがした。
日曜やって月曜。夕飯の後散歩から帰ってきた時にハブの美代子さんが眼中に。
少し迷ってる様子で美代子さんが近づいてきた。
「何かしてほしいことある?」
こう聞いた。
わたしは「事柄的にして欲しいことはそんなになさそう、でも娘はわたし一人だとつまんなさそう」
こんな風に答えていた。

わたしの中では事柄よりも自分の心の状態な感じがした。
よっしーがいると毎日のように話す時間がある。
少しでも心の内を話せるというのがわたしにとって大きい気がしていた。

美代子さんとほんの5分くらい話しただけだった。
娘、それまでムスっとというか無表情(わたしにはつまらなそう)に見えていたのが
満面の笑みになった。
わたしの心に風が通った感じがした瞬間だった。

わたしが満たされるほど、娘も満たされる。

外へ散歩に行ったり、誰かに会ったりとか違うおもちゃを与えたりとかいうことよりも
母親がどれだけ満たされているかが娘の満足にもとても繋がっていると感じた瞬間だった。
わたしは娘にいつでも100の愛情で接せられる。
その為にわたしの心がいつでも100満たされているということが重要な感じがする。

洗濯物を寄せるのでさえ大変に思えてきた。
りっちゃんにヘルプをだした。

もっと日常的に心の会話をしたいと思った。
よっしーとだけでなく。

週一でチェリッシュの二人ともプチミの時間を設けてもらっているが、先週は集中研でなかった。二週間に一度になることもわりとある。
不思議なくらい元気になって次の活力へとつながる。
常に身近にいると思うんだけど、わたしが常に心を開いているのは夫くらいなのであろう。
心の友だちが欲しくなっちゃったりしたけれど、きっとそうじゃない。
自分が常に心に重きを置いていないのであろう。
常にオープンではないのであろうか。

 

満足は循環する。
外から何かを取り入れることではない。

7/24 サロン

やらせる やめさせる間柄
止めるとやめさせる

「止める」は感情を伴っていない自身の行為
やめさせるは悪感情の入ったもの
人と人との関係なら やらせる やめさせる は起きようがない

不愉快な感情がなければ出てこないのかな。
何を見ているのか?というのが印象的だった。
“その人”を見ていない。
どういう間柄なのか、といえば決まった事を守っているからよい状態。
という条件付きのものなんだろう。
うちは保ちあっているというより、出し合っているなーと思う。

昨日は、「不愉快な感情」や「警戒心」さえなければ真の人間へといけるのであろうという実感を持った。
今の自分はどこに焦点を当てていくかといえばそこであろう。
そこを解消せずしては先へ進めないんだな。本当に。

わたしは悪感情や警戒心を温存してしまっているのかも?とサロン中思った。
とは言っても出てくるしとか。そういう自分を認めているのであろう。
先週、今週と2回サロンに参加する中でそれが異常であることのように思えてきた。
無くそうというより、持っているのがおかしいなって。
自分で持つことによって自分を苦しめている感じもする。

最近、先のことが前より全然怖くなくなっていることに気づいた。
いつまで生きているか分からないというのが現実になってきたような感じ。
どれだけ長く生きるか、というより
夫との時間、娘の将来をどれだけ見届けられるかよりも
真の人間をどれだけ早く取り戻せるか、そして少しでも人間らしく生きられることの方が寿命が縮まったとしても先決な感じがする。
一刻も早く。そんな人間で夫や娘と接したい。