satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

12/3 弁当屋

・代打
体調の悪い人に変わって急遽シフトに入る事にした。朝起きて布団でゴロゴロしながら携帯をいじっているときにその情報にタイミングよく触れた。昨夜の時点で「明日の弁当屋のシフトに入りたい」となっていたのも手伝って見てすぐに行く事に決めた。
誰からの返事もないのに少し不安気になりながら、とりあえず行ってみた。
必要そうか聞いてる自分がいた。盛りつけラインが留学生と一人高校生。面白そうだぞ、その場に居合わせたいと思っていた。炊飯も留学生だったのもあり。なんだかなんでも気軽に言葉にしている自分がいた。ポジション決めるときとか、迷いが生じている自分がいる。指示する形ではなくみんなの中から出来ないものかと思ったりもしたけど、どこかで決めないといつまで経っても始まらないとも思える。このあたりいつもうずうずする。45分スタートで告知しておいて結局始まったのが7時05分だった。
ラインの中で把握している人もいなくて、メニューもすこし複雑でもう一人欲しかったというのがあったが、居る人でなんとかしようと錯誤して終わった頃にはみんな疲れきっていた。結局その後の総菜、掃除、仕込みと押してしまった。後に響くな。

お昼休憩しながらどうだったか、気持ち的にどうか〜?みたいな話を留学生+熊井さんとしていた。井手っちの話を聞いているときに探訪DAYに来てた人たちがドアを開け話しかけてきた、ところで井手っちの話が流れた。あー、邪魔が入ったとか思ってしまった。浜松に居たときも、この前帰ったときも思ったけどやはり”聴き合いの場”というのは別に設けた方がいいなというのを改めて思い、それを出してみた。

・仕込み、担当者、自分の中の”責任”
盛りつけが終わったら帰るつもりでいたが、どうやら仕込みがピンチらしいということを知ってやることにした。前まで時間気にしたり、飽きてきたりしていたり冷蔵庫に何かを取りにくる人のことが気にかかっていたのだが…この間の仕込みからそういう”胸がつっかかった”感じなく穏やかに淡々とやっている自分がいた。早さや正確さ、時間、人、気にならなくなっているな。
結局、他の留学生が14時頃帰り残ったのが担当者のよっしーとわたしだけになった。


終わった直後によっしーから「長くやった日は他の日で時間調整して欲しい」という言葉を聞いた。だいたいでいいから平均6.5hになるようにしてほしいと。
瞬間的に職場の時間のことを一週間とか一ヶ月とかで調整してこなかった自分を思い返した。そんなことしてこなかった。そういう風にするものだったの?受け入れ側から聞いてないよ!と直ぐに出てくる感じがした。言いたいのはそういうことじゃない。もっと聴いて欲しいというのを仕込み室で何度も耳にしている気がする。
瞬時に自分の感情を抑えてしまいたいというようなのが出て来て、無理矢理に聞こうとするなと。これが意識的な感じがする。その時のわたしは言葉に反応してとても気持ちの部分に行きつけない。開放的になった辺りからもう抑えられなくなっている自分が居るなと思った。溢れてくる涙。話をしている中で気づいたのは、よっしーを通して”責任のある人”とした自分の中にある責任というものに反応しているような気がした。
それで剛道くんが”指示してくる”と自分の中でしたところで引っ掛かりを持った。
それはスタバ時代自分が一応責任者としてやってきた経験から来るものだったり、自分自身ずっと”責任感が強い”というを褒められてきていたし唯一の自分の良いところだとさえ思って来たところからだろうか。

”担当者ではあるが責任はない”というよっしーの言葉に混乱を感じた。
担当者ってなんだろう?ポジション、担当?それと責任ってな〜に?
ふたつがくっついてしまっている。担当者=責任者みたいな。
このあたり自分の無意識の表層にこびりついていそうだな。