satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

7/6 2ndクォーター始まる。

7月に入り、次の3ヶ月がスタートした。
成長していないように感じた1stクォーター。
アズワンハウスでの暮らしは自分の中に”あるもの”が思いっきり顔を出す生活だった。留学時代とは大きく変わった。アカデミー号が高速船に思え、その速さに自分は付いてけないと感じる。酔いそう、というか酔っているかもしれない。外からの人を受け入れることも度々ある。ハウスでの自分がどうなっているのか、職場での自分がどうなのか、ゼミ、研究会、各種のミーティング、コース、観察プログラム。その一つひとつをゆっくりじっくり見ていったり、消化する時間を過ごしたいと思った矢先に外からの人を受け入れたり、話しをしたりすることがある。ちょっとそういうものに振り回されている状態であるなと感じている。

そこで自分は成長してないと感じるところや、他の人が引っ掛からないところでいつも自分ばかりがつまづいているようにおもう。ゼミでやってきた内容。この現状の人間の状態をまさに自分がいくつも身につけている状態でそれが本来でないと見えて来て、でも真の姿が描けない自分がいる。やらせたり、やめさせたりのない間柄は自分自身も周囲の人もとても快適に暮らせるだろうとは思うけど、リアルにその状態が描けない感じがある。それは今の自分のやらせないと落ち着かない、不安な状態が邪魔しているなとは思うが…。自分には真の人間の姿からはほど遠い気がして、わたしにはもう無理でないかと諦めかけている感じがある。

この辺りは”自分”と”人”という区別がハッキリとある辺りで引っ掛かる感じがしている。コースへ行っている間に男女のシャワー室のひとつが入れ替わった事で強く反応したた自分がいた。それはよっしーとの事で起こった反応より強いものだった。シャワー室の事からアズワンハウスの掃除、物の配置や置き場について考えが巡り2日間ほぼ眠れなかった。昨日の夕方までは全然落ち着いてない状態。
イライラしながら食器棚の中の整理をしたりしていた。わたしがそういう状態だと人々が去って行くように感じて、自分が居ないことがみんなの幸せにつながるというのと結びつけて行く。自分でもそういう状態で居たいわけではなかったが、自分を安心させることで必死だった。そういうのにもまた反応して、なにか破壊したくてたまらなかった。食器をコンクリートに打ち付けてスッキリしたかった。そんな感情が出て来た。


もうここでやるのは自分には無理ではないかと思う一方で、ここが人間関係の問題を根本的に取り組んでいる唯一のところ(自分が知る中で)と思っていて、ここでダメならもうどこへも行けないような感じもしている。あとは生きることをやめるしかない。そういうのもちらちら顔を出した。そんな狭間にいる今。面白いと感じることもある。

昨日の夕方は自分の今の状態を出す事が出来た。聴いてくれる人たちが居てくれた。

「落ち着いた?」と聞かれて「全然」というところから、こんな自分でもいいんだなと思える状態にまでなった。そのまま出せる安心がある。話すと自分が居る事でみんなが不幸にはつながらない感じもある。ヨノのレポートを読んで思ったが、話しをしている時の自分も自分と相手が別々というのを強固に持っている感じがある。

自分の事を話している、そういう感覚がある。この中身はどうなっているだろうか。

素直になんでも出せる一方で真の人間から離れた無理な物をたくさん身につけている自分、そんな身につけている自分が悪いんだと責める気持ちが湧いてくる。
これから離れない限りは阻害しているものは消えていかないだろうと思う。

ちょっと色々な事が起きている感じがして、ひとつひとつどうなっているのか見て行きたい。お弁当屋さんに無理して行っている自分。(だがこの二日間はスタートの時間より遅く到着していた)他の人の分まで稼がなければと辛くても頑張っている。今日はオフィスと1stステージのミーティングに参加せず夜ご飯を仕込んでいた。

1stクォーターではよっしーとの間に色々反応する自分がいた。この前の見るためのコースで大元によっしーに対する自分自身の見方(捉え方)がどうなっているか知る事が重要かなと感じそこをじっくり見てみたいと思った。

 

今は他の人を受け入れられる状態でないと思うが、19日からは一週間弱、アメリカの高校生たち12名をアズワンハウス、アカデミーで受け入れるらしいと聞いてその辺りもとても気がかりだったりする今。わたしはどこにいけば安心するのだろうか。

もう楽になりたい。。。