satomingoの記録

アズワン留学中(2017/8/1~)サイエンズアカデミー(2018/4~2019/2)その後の生活の振り返り用。 diaryとして整理のために。 いつでもスタートライン。

3/15 子どもの家

子どもの家は仮名称でだいぶ前に名前が”キンダーハウス チェリッシュ”になった。
でも伝える時に”子どもの家”の方が分かりやすい気がしていて使い分けている。

わたしは週1で職場として研修させてもらっている。
アカデミーになったらどうなるかは分からないが、楽に過ごせる一方で自分の考えだなと気づく場面が多い。瞬間的に困ったぞ…となることもある。
子どもは囚われていないことが多い。特に0歳の子と一緒にいるとびっくりするくらい自由にみえる。

ズボンや服が汚れるとかそういうのは割と気にならなくなってきていたが、今日は砂まみれ(砂や石を口の中に入れた)の手でバッグを掴んだり瞬間的に”イヤだ”と出てくる。砂まみれの手でご飯を食べようとしたり、海苔とご飯でべとべとになった手で抱きついて来たりそのまま砂を食べ始めたり…。彼には食べ物とかおもちゃとかそういう括りがないのだろうと思う。興味があったら一直線。食べていても気になったらそっちへ行ったり眠くなったら泣いたり…瞬間的に困るというのはどうなっているのかな。彼の思うように出来るといいなと、見守る一方で自分もご飯が食べたいとかそういうのも出てくる。そういう時は見守りスタッフと声を掛け合っているのだけれど。

泣いている時にどうしよう…とかどうしたらいいかな?とかわたしにはそういうのは出てこない感じがする。気は向くけれどどうにかしようとかにはならないな。
見えているのが違うという実感を味わうんだけど、これが大人がそうしていたら気になるとかはやはり大人と子どもというので分けて見ているのだろうな。
例えばよっしーが食事中にテーブルへ汁や食べ物をこぼしたりしたりしたら気になるとか。0歳の子がそうするのは普通だったりもっとすごいんだけどな。
どう見てるかな?

食事のことに関して気になりやすいかもと思った。
今日は公園で0歳(10ヶ月かな?)の子の食べる手伝いをしたけど、この子はわたしが行く度にパワーアップ(成長?)しているように感じる。毎食こんなだと一緒に居るのが嫌になるかもしれない…とか出て来たな。食事の時いつも以上にその子に集中している感じがする。何をするか予測不能。あげ方にもやりながら変えて行ったり、その子の今で見てやることかなと感じた。つい先週やその前のその子を想像してやろうとするが、成長もしているし当たり前だけど変わっている。おなじくらいの月齢の子でもずいぶんと現れているものや興味の矛先も違うなと感じる。こういうのは環境の影響を受けているのと一緒に暮らす人、その人の特性とかあるのかな。興味深いところだなと思った。
育児書とか厄介だな〜なんて今日は思ったところ。

子どもからたくさんのことに気づかせてもらったり、喜びをもらったり、満たされたり…学ぶことも多くてチェリッシュの職場の時間を設けてもらっていることが有り難いと感じた。ここに居ないとなかなか出来ない学びな気がしている。
この子達の成長を見届けたい気もする。色々考えること多いな〜